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加藤周一『日本文学史序説』(5)

四.加藤の思索(個人主義について)

加藤の思想の意味は、戦後日本におけるデモクラシーの成立を独自の立場から検討し、これを思想化したことにある。それは、本来キリスト教社会における個人主義の伝統を背景に成立したデモクラシーが、非キリスト教社会である日本においてどのように成立し得るか、という問いであった。加藤周一は〈藝術〉に関する自身の発想をその根拠としながら、日本における「個人主義」の可能性について思索していった。その具体的思索が『日本文学史序説』である。加藤の文学史では、7、8世紀から20世紀後半までのおよそ1200年に及ぶ日本の文学の歴史が論じられる。これだけ長い歴史を、加藤はどのような視座で語るのか。

加藤は、日本の歴史を「土着世界」と加藤が呼ぶ日本オリジナルの世界と、これに対する外来思想の対決の歴史として捉えている。日本の歴史は、「開いて」(open)、「閉じて」(closed)の繰り返しであり、前者は、いづれも歴史の「転換期」であり、「外来思想」の流入期にあたる。日本は歴史上それを四回経験しており、大凡、その期間はそれぞれ100年ほど続く。そうした「転換期」の後は、closedの時期、即ち、外来思想の咀嚼及び日本文化の新たな形成期に入り、大凡それは300年ほど続く。

加藤はこうした現象を、外来思想の「日本化」という言葉で表現しているが、問題はその「日本化」の内容であろう。これは、『序説』のみならず、加藤の日本文化史全般に関わってくる問題であるが、結論を言えば、加藤の日本文化史(日本文学史、美術史)にとって、外来思想とは新たな「藝術」の源泉というべきもので、土着と外来の世界が相互に刺激し合って創造的な「藝術」が生まれるという、そのモチーフは、①「日本的なもの」(土着)、②「超越的なもの」(外来)、③「日本的であり普遍的なもの」(土着×外来)という加藤の藝術観そのものといえる。そして、③を創出する「日本化」と呼ばれる現象を加藤は「美的洗練」(あるときは「知的洗練」)と呼ぶ。即ち、外来思想の刺激を受けつつ、土着思想が「洗練」されたものが、加藤の言う日本文化の「傑作」であった。加藤は自身の文学史のモチーフについて次のように述べている。

 

時流の底にひそみ、折にふれ噴出する特殊日本的な世界観は、外来イデオロギーによってしばしば背景に押しやられる。このわが国固有の世界観は―その根底にあるのは、他のアジア文化と密接なつながりを持つ神道であるが―かなり単純な、把握しやすい性格を持ち、深く民族の心の中に根を下してる。仏教、朱子学および近代ヨーロッパ思想と異様な外来の高度に発達したイデオロギー体系との出会いも、この世界観の生命を絶たなかった。外来イデオロギーに対して、少数の教養人は進んでそれを受け入れ、それを自分自身のものとするために、知的努力を重ねたが、民衆は、常に、強い抵抗を示し、それを受け入れた場合にも、ためらいがちに受容し、かつひどく原形とは異ったものとした外来の世界観に対するこのように異る二つの態度から、大きくみて、二種類の文学が生じた外来イデオロギーの影響を強く受けた知識人の文学(文学一)と、その影響をほとんど留めぬ大衆的文学(文学二)である。この二種類の文学を分つものは、言葉、価値体系と対象、および叙述の進め方である。二つの文学は、ながい歴史のなかで相互に影響を及ぼし合いながら、つまるところ外来イデオロギーを次第に日本化したといえよう。日本化の過程は、伝統的世界観と外来イデオロギーの総合から新たなもう一つの文学(文学三)を生みだした。これはほとんどいつも、文化エリートの手になるものだが、ある程度までは大衆の生活感情をも表現している。これまで日本文学の傑作として認められてきた作品の多くは、この最後のカテゴリーに属する[iii]

 

こうした加藤の文学史の枠組は、加藤の藝術観を踏まえるとよく理解できるが、問題はこうした加藤の日本文化論の枠組が、どのようにデモクラシー(日本における個人主義)の問題とつながるか、であろう。それが加藤周一のいう「主観主義」という問題である。この「主観主義」というのは、加藤の日本文化史において繰り返し登場し、加藤の思想の鍵概念の一つであるので、『序説』の内容を見る前に、この概念について説明しておきたい。 

加藤は「主観主義」という言葉を「自己の外にある規範や現実の対象、つまるところ環境の存在と機能を観察し、再現し、理解することよりもはるかに強く、自己の内にある感情や意見の表現へ向かう傾向」[iv]とこれを定義し、この「主観主義」こそが「日本文化が含む根本的な原理の一つであって、芸術家の視線を外の世界ではなく自己の内部へ向かわせる」[v]という。

 

共同体の内側に生きた人々は、何をしていたのだろか。共同体の内部は、個人の心情・精神、これを併せて「心」とよぶとすれば、心からみて外部である。世界は私の心の「内界」と私をとりまく「外界」または環境から成る。環境は自然的なそれと社会的なそれを含み、後者は他者と他者が作りだしたすべてのもの、すなわち文化である。もちろん「内界」と「外界」とは、身体を媒介として、相互に、おそらく不断に、影響する。しかし一方が他方に還元されることはない。(中略)その意味で心と環境、心の内外の世界は、相互に超越的である。したがって環境を堪え難いと感じるとき、個人がとり得る態度には、二つがあるだろう。環境を変えるか、自分自身の心を変えるか。どちらの道を採るにしても、「今=ここ」の状況を改善するためには、それぞれに固有な技術を必要とする。必要な技術を提供するのは、その社会と歴史に固有な、その時代の文化である。[vi]

 

このように、加藤の「主観主義」とは、自己(内的世界)と外的世界の語り方をめぐる問題であって、それはそのまま「日本における個人主義」(個人の語り方)の問題である。その際、こうした「主観主義」の表現はいくつかのパターンがあるという。加藤はその具体例を「典型的な日本文化」と位置づける18世紀の人間像として以下の4つに分類する。

 

 ①義理人情棲み分け型

 ②石門心学

 ③徂徠型

 ④宣長

 

①は自己(内界)と外界の二分法であり、生活世界と観念世界は互いに交わらない。即ち、規範は内在化されないし内面は規範化されていない状態である。加藤が「戦争と知識人」で問題にしたのは、まさにこうした世界であった。②は自己(内的世界)と外界の理論化であり、③は外界による内界の吸収、④は内界による外界の吸収といった状態で、③は「超越的なもの」に、④は「日本的なもの」に限りなく近づいていくだろう。(その点では、②に対する加藤の評価は高い[vii]

加藤は土着世界の思想を時間意識と空間意識の面から「今・此処」主義と表現するが、こうした「今・此処」の内面化による個人の定立こそが、加藤の目指した日本における「個人主義」であり、「土着×外来→美的洗練(あるいは知的洗練)」という日本文化の定式の倫理的表現であった。加藤は次のようにいう。

 

心の外の世界では、すべての出来事が時空間の中でおこる。しかし心の内側でおこる想念は時空間に束縛されずにおこり得るし、またおこり得たという報告は、古来、無数にある。時空間を超越する条件は主として宗教的であり、その中でも人格的な絶対者・神を媒介する場合と、そうでない場合がある。人格的神を媒介しないで、時空間のみならずすべての二律背反(自他・生死・有不有)を超える神秘的経験の代表的な例は、禅の「悟り」であろう。「今=ここ」を強調する日本文化も、究極的には「今即永遠」、「ここ即世界」の普通的な工夫を必要とした[viii]

 

この「人格的神を媒介しないで、時空間のみならずすべての二律背反(自他・生死・有不有)を超える神秘的経験」という一文に加藤の思想の一切が表現されている。ここに加藤周一の思想の難しさがあるし、加藤の思想とは、本来は言語化し得ないものをぎりぎりのところで言語化しようとした試みともいえる。故に加藤はその思想のモチーフを〈藝術〉という概念に託した。ただし加藤自身もこれを明確に言語化し得たわけではない。『日本美術史序説』は遂に書かれなかった。[ix]唯一、加藤が体系化し得たのは『日本文学史序説』であり、我々は具体的な加藤の思索をここにさぐる他にない。ここに来て、ようやく加藤の文学史まで辿り着いた。最後に、その内容を簡単に確認して、加藤の思想を総括したい。

 

[i] 小関素明「加藤周一の精神史―性愛、詩的言語とデモクラシー」(『立命館大学人文科学研究所紀要』111、2017年)145頁。

 

[ii] 戦後思想史という文脈では、加藤の『日本文学史序説』(1980)は丸山眞男の『日本政治思想史研究』と内田義彦の『経済学の生誕』がそれぞれ持っている思想史的意味と同様の意義を持っている。ただ、加藤周一研究において、その思想を戦後思想史のなかでどのように位置づけるかという研究は少ない。

 

[iii]加藤周一著作集』③、14‐15頁。

[iv] 加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年)211頁。

[v] 『日本文化における時間と空間』211頁。

[vi] 『日本文化における時間と空間』257‐258頁。

 

[vii] 心学に対する評価にも、加藤と丸山の思想の違いがよく現れている。こうした違いが最もよく現れているのは、室町時代への評価であろう。加藤の思想史では、室町時代への評価がもっとも高く、丸山の場合は最も低い。これは「超越的なもの」の論じ方の相違であるし、一言で言えば、デモクラシーの論じ方の違いである。西欧キリスト教社会において「人権」や「デモクラシー」といった近代的諸価値が生まれたことの意味を重視する丸山は、デモクラシーの論じ方で言えば、「近代の民主主義を支えたのは近代的個人主義の伝統であり、その背景にはキリスト教倫理が存在する」というデモクラシーの基本テーゼにあくまでもこだわる。丸山が課題としたのは、そうしたデモクラシーを支える倫理的主体(エトス)を確立することであった。その可能性を、日本思想史を通じて検討する丸山政治思想史は、その枠組こそ加藤の日本文化史と同じでありながら、その内容は真逆である。加藤は、「非キリスト教社会における個人主義」の可能性を論じたから、それは、ある意味で丸山的な視角では「特殊主義」の追求でもあった。その点、思想的意味が若干異なるものの、近代化論の文脈で心学を高く評価したロバート・ニーリー・ベラーの特殊主義と重なる要素がある。

 

[viii] 『日本文化における時間と空間』260頁。

[ix] その研究ノートというべき『日本その心とかたち』だけがそのモチーフを語っている。