Ikkoku-Kan Is Forever..!!のブログ

バイトをして大学に行くお金を貯めながら時間を見つけて少しづつ本を読もう。

加藤周一『日本文学史序説』(1)

加藤周一の読み方

加藤周一という名前は『日本文学史序説』の筆者として高校生の時から知っていたものの、実際に加藤を読んだのは大学に入ってからだった。実際に加藤のテキストに触れると、独特の文体というかその感覚に戸惑ったのを覚えている。一応、文学部に進学したものの、後に悔恨に身悶えるほど文学に触れることの少なかった私は、翻訳でもいいから外国の古典を読まないといけないなと思った。そういうわけで、無為な時間を過ごしていた教養のない学生にとって丸山眞男哲学史や社会科学の学習の導入に一役買ったのと同じように、加藤は文学や芸術に触れるきっかけを与えてくれた。それが私にとっての加藤体験。こうした文脈での加藤体験は意外と多いということを、『加藤周一著作集』を一通り読んだ後の友人との会話で知った。戦後の知識人のテキストにはそういういわゆる「教養主義」に密かに憧れる出来の悪い学生を惹きつける独特な匂いがある気がする。ただ、大学時代に自分が所属したゼミの「教材」として向き合ったとき、つまりそういった消費としての読書を離れて、いわば内在的に加藤のテキストを思想として理解しようとすると、それは単なる読書カタログとしてではなく、一つの思想として浮かんでくることにも気がついた。それは、加藤の独特のセンスについてこれない自分を含めた非文学青年に加藤のテキストが持つ思想的意味を客観的に説明するという作業でもある。要するに、晩年の市民運動にみられるような護憲派知識人としての加藤とフランス文学に始まり日本文化研究に至る加藤の関係を、加藤自身の思索の軌跡として理解すること。戦後民主主義を代表する知識人の一人である加藤のデモクラシー論を検討する、というのは至極真っ当な視点だと思う。ただ、本屋で加藤周一に関する解説書を数冊購入して読んでみても、案外そういう意味での解説本は少ない。そういう観点から加藤を読んでみたい。

加藤周一の主著といえば、言うまでもなく『日本文学史序説』である。これは古代から現代までの日本文学を独自の視点から整理した1000頁に及ぶ大著であり、日本文学の通史としては小西甚一とドナルドキーンのそれと並んで有名な著作といえよう。ただし、加藤のこのテキストが持つ特徴とその価値は単に数少ない日本文学の通史という点に留まらず、むしろそれが持っている思想的側面にある。小関素明氏は、加藤の『序説』を「日本の戦後民主主義を特定の時空間を超える『普遍性』のなかに定礎する狙いと相即した苦闘の痕跡」[i]とこれを定義しているが、こうした『序説』が持つ思想史的価値は、加藤周一研究において、従来あまり重視されてこなかった。[ii]ここでは、加藤周一の思想の全体像のなかで『日本文学史序説』がどのような位置にあるのかを加藤のテキストを思想地図のように辿って行きながら整理したい。

 

[i] 小関素明「加藤周一の精神史―性愛、詩的言語とデモクラシー」(『立命館大学人文科学研究所紀要』111、2017年)145頁。

[ii] 戦後思想史という文脈では、加藤の『日本文学史序説』(1980)は丸山眞男の『日本政治思想史研究』と内田義彦の『経済学の生誕』がそれぞれ持っている思想史的意味と同様の意義を持っている。ただ、加藤周一研究において、その思想を戦後思想史のなかでどのように位置づけるかという研究は少ない。