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植木雅俊『思想としての法華経』

 

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「作家になるにはどうしたらいいか」という質問に恩田陸が「一冊の本を書けばいい」と答えていた。その答えは簡潔で、恐らく「正解」だろうが、必ずしも質問者の問いの答えにはなってはいない。誰しもが「何かを表現したい」という欲求を持ち、また「その個人でなければ表現できない何か」を持っているとして、問題は、それを表現する「言葉」を持つか否かである。そのことの「深刻さ」は、「作家に成りたくてなったのではなく、成らざるを得なかったのだ」という三島由紀夫の表現によく現れていると思う。

最近、植木雅俊の『思想としての法華経』(岩波書店2012)の序章「『法華経』との出会い」を読んだ。なぜ「序章」なのかといえば、単純に時間がなかった(この場合、物理的な時間もさることながら読書の優先順位の問題でもある)からだが、大体、「なぜ、この人はこういうことを考えようと思ったのか」というのが、とどのつまりその思想のすべてだったりするのだから、さしあたり。(そのうち『ほんとうの法華経』と一緒に読むことにする)。植木雅俊といえば、「元々は物理学を勉強していたのに、どういうわけか中村元の弟子になって法華経を勉強し始めた変な人」と定義できるわけで、その理由だけでも面白かった。

 植木さんが仏教を勉強することになったきっかけは、二つの「だから何なのだ」という問いに答えるためだったという。一回目は1970年に九州大学理学部に進学したときのこと。物理を勉強することになったのだが、当時はまだ学生運動の機運が大学に残っていたらしく、時折、運動家に議論を吹っかけられたという。ろくに答えられず、何とか言葉を搾り出すも「だから何なんだ?」と一蹴され、「何を考えてんだ」「何も考えてないんじゃないか」と詰め寄られる有様だった。そんな折、澤瀉久敬の『「自分で考える」ということ』に出会う。本の中で、澤瀉が「自分で考える」ことを身をもって実践した人物として名前を挙げたのが、デカルト釈尊だった。そこで手当たり次第に仏教書を読み漁り始めたという。二回目は、自己の「虚栄心」に対する問いだったらしい。筆者自身の言葉を引用すると、当時の筆者は「孤独と虚しさに耐えられず、同情と慰めを求めて毎晩のように友人・先輩の下宿を訪ねては、『私はこんなことで悩んでいる』『あんなことで悩んでいる』などと、愚痴を言って回っていた。そして、なぐさめられたり、同情されたりすると、さも『俺は人生の苦悩と闘っているんだ』と錯覚していた」p11という。イヤな性格である。「同じ人のところへ行かないのがミソだった。それは、手の内がわかってしまうのが怖かったからだ。(中略)繰り返していると、どういう話をどういうふうに話せば、相手が反応してシンミリとなって同情してくれるのか、計算できるようになってくる。計算どおりにことが運ぶと、心の中で拍手している自分があった」p11-12。最悪である。「ある日、大学の先輩を訪ねて、いつもと同じように愚痴を繰り返していた。ただ、そこまでと違ったのは、いつもならここで反応を示して、シンミリとなるはずだというところで、全く反応を示してくれないことだった。(おかしいな、おかしいな。こんなはずではないんだが……)と思っているうちに、愚痴のネタも尽きた。先輩はおもむろに、『植木くん、そんなことを百万遍繰り返して、何が変わるんだい?』と、私の一番痛いところを突いてきた」p12。痛快である。こうして、他人に同情してもらうことで自己の虚栄心を満たそうとするその卑しい性根を見透かされた筆者は、先輩に「君は君自身でしかないんだよ」と諭されて、『法華経』の「衣裏珠の譬え」と「長者窮子の譬え」を聞かされたという。その後、筆者は「言葉」と「自己」と「他者」という自身の問題関心について、原始仏典や日蓮の思想を根拠に考えていく。

とりわけ関心があったのは「言葉」に関する問題だったという。筆者は、天台智顗の『法華玄義』の序文にある一節「声もて仏事を為す。之を称して経と為す」と日蓮の『木絵二像開眼之事』の一節「人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあら はる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華 の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり」を引用し、次のように続けている。

「人が声を出すのに、二種類あるというのだ。一方は、自己の心に思っていることを何とか伝えたいとして発される声、もう一つは、自分自身は何も知らないのに、知っているかのように『人をたぶらかす』ための声だというのだ。これは、表現すべき何ものも持たないのに、言葉などの表現手段を弄している場合のことにも当てはまるであろう。このように分類しておいて、仏の発する声も、それを記録した文字としての経典も、それらは皆、仏にとって何とか衆生に分かってもらいたいという『自身の思い』が表現されたものであり、『仏の御意なり』と結論されている。ここに、『自身の思い』や『意』に対する『言葉』や『文字』の本質的な役割が垣間見えるような気がする。『自身の思い』や『意』があってはじめて、『言葉』や『文字』は意味を持つということだ。」p26-27

その後、中村元との出会いとその思い出が続くわけだが、「だから何だ」という問いに発する「言葉」に対する関心は個人的にも考えさせられる。筆者の場合はこの問題を、釈尊入滅から五世紀以上経過して成立した『法華経』の研究を通じて、「釈尊の覚り」から「言葉への結晶」という観点から考えようとしている。「言葉が先にあったのではなく、『ある思い』のほうが先にあった。ところが、千年、二千年と時間が経過して、『ある思い』を抱いていた人は亡くなり、それを受け継いでいた人もどんどん少なくなり、ついにはその『ある思い』は見失われてしまい、言葉だけが残った。私たちが、仏教を学ぶ時には、『ある思い』のほうは見失われて、残された言葉を憶えたり、解釈したりすることになってしまう。ここに本末転倒が起こる。私は、そのことに気づいた時、一つひとつの仏教用語は、何らかの必然があって、やむにやまれぬ思いを込めて使われるようになったはずだと考えた」p28と言う筆者の問題意識が『法華経』の翻訳作業や『思想としての法華経』本書のタイトルに反映されているわけだ。

本書の続きとその周辺領域に関しては追々勉強するとして、 「だから何なんだ」という問い(この場合、学生時代の筆者のようなナルシズムに染まったセンチメンタリズムへの問いではなく、目的論の問題だが)と「言葉」(その思考・表現方法)については個人的にもう少し考える必要がある。